漫学:アニメや漫画を哲学のように紐解くサイト

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崖の上のポニョネタバレ考察「私たちはペットを本当に家族として扱えているのか?」

金魚だったはずのポニョは徐々に人間となっていく。動物と人間の境界を曖昧にする。「崖の上のポニョ」が伝えたかったのは、家族としてのペットのあり方だ。

いらなくなったペットを捨てたり、殺したりする人がいる。だけど、本来ペットは家族の一員であり、人間の都合で好きにしていいはずがない。

児童向けの印象も強い「崖の上のポニョ」だが、本当は大人へのメッセージなかもしれない。

 

作品テーマ:人間と動物の関係

 

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ポニョとは?

5歳の男の子の宗介はある日、海辺で金魚と出会う。この時点では名前がなく、ポニョは金魚として認識されている。

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金魚の姿をしたポニョ

はじめは金魚だった

宗介は金魚にポニョと名前を付けることで、特別な存在として、ポニョを認識するようになる。名前を付けた時、彼にとってポニョは単なる金魚ではなくなったのだ。また、保育園の同級生の女子に「金魚」と指摘された際に「金魚じゃないよ、ポニョだよ」というセリフは、名前を付けることにより、対象へ愛情が湧いていることを印象づけるシーンとなっている。名前を付けることから、宗介とポニョの関係が始まるのだ。

徐々に人間になる

そんな宗介とポニョだが、ポニョの父親であるフジモトは、ポニョを海に引き戻してしまう。

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半魚人姿のポニョ

 フジモトの元に戻ったポニョは、宗介の元に戻ることを決意。徐々に半魚人や人間の姿に変わっていくようになる。

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人間の姿になったポニョ

 ポニョの姿が、金魚 → 半魚人 → 人間に変化することで、人間と動物の境界線を曖昧になっていく。さらに、宗介とポニョが単なる「人間と動物」の関係ではなく、「生き物と生き物」という対等な関係となっているのだ。

古代魚は生命の原点を表す

その後、母親のリサを探すため、津波で沈没した街へと旅立つポニョと宗介。

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母親のリサを探しに行くポニョと宗介

 この時、海の下には、古代魚がたくさん生息しているが、これは、今回のテーマである(人間と)生き物の本来のあり方を見直すために、生命の原点を印象付けている。

願いが叶ったおばあちゃんたち

やがて、宗介とポニョは海底にある老人ホームにたどり着く。そこには、元気に走り回るおばあさんが登場するが、これは作品の冒頭での「宗ちゃんみたいにかけっこ出来たら」という彼女たちの願いが叶ったのだ。

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元気に走り回るおばあさんたち

グランマンマーレに対する宗介の答え

その後、「(ポニョが)人間になるには、本当の姿を知りながら、それでもいい男の子が要る」というグランマンマーレ(ポニョの母親)に対して、「僕、お魚のポニョも、半漁人のポニョも、人間のポニョもみんな好きだよ」と、ありのままのポニョを受け入れる宗介。そこには、人間と生き物の差別は存在しない。ポニョと宗介はキスをして、無事に人間となり物語は終わる。

崖の上のポニョが伝えたかったのは、家族としてのペットのあり方

物語の背景には、ペットの放棄、ペットの殺処分問題などがあるのではないだろうか。現代人は、生き物をモノのように扱う。モノの使い捨てが進む世の中で、生き物であるペットまでもが、都合のいいように扱われている。 しかし、ペットとは家族だ。生き物も人間と変わらない。それはポニョも同じ。ポニョは(たかだか)金魚。それでも宗介にとってポニョは大切な家族なのだ。だから、同じ生き物として宗介はポニョと向き合う。そこには、人間とペットの本来あるべき姿が照らし出されている。

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 ペットショップにいる可愛らしい動物たちは、時に人間の都合で買われて、捨てられ、殺されてしまう。だから、もっと、ペットを大切にしよう。ペットだって、人間と同じ生き物なんだ。そんなメッセージが聞こえる作品だ。

「千と千尋の神隠し」日本の教育には神隠しが必要!?

千と千尋の神隠し」は、日本の教育に対する宮崎駿の問いかけだ。こどもが本当に成長するために必要なこととは何なのか。

作品テーマ:「教育」

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宮崎アニメで一番不細工な主人公!?

千尋と両親が引越しているシーンから始まる。小学4年生の千尋は、転校を受け入れられずにいた。

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鼻も低く、かわいく見せようと描かれていない千尋

風の谷のナウシカ」のナウシカ、「天空の城ラピュタ」のシータ、「となりのトトロ」のサツキ、「魔女の宅急便」のキキ。今までの、どの宮崎アニメの主人公(ヒロイン)とも異なる。千尋は平凡で活力がない。鼻も低く、可愛く見せようと描かれていないのだ。それは千尋の存在が、ごく普通の小学4年生であることを強調しているからなのである。 ごく普通の小学4年生 千尋は、ひょんなことから、両親と共に神々の世界へと迷い込む。神々の食事を食べてしまった両親は豚へと変身し、千尋は異世界で一人ぼっちになってしまう。

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豚になってしまった千尋のお父さん

 一人ぼっちになってしまった千尋だったが、ハクに助けられて油屋で働くことに。

本当にこどもを成長させるのは、教師でも親でもない

そこで油屋でボイラーを担当している釜爺に働かせてほしいとお願いをするが、今まで仕事などしたことのないであろう千尋は、ススワタリの手伝いをしたことで、かえって釜爺に怒られてしまう。

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激怒する釜爺

 千尋に厳しい言葉をかける釜爺だったが、湯婆婆の元へと案内をするよう、湯女のリンに働きかけてくれる。 最初は渋っていたリンも、千尋が油屋で働けるようになったことを知ると、安堵の表情を浮かべるなど面倒見の良いところが伺える。

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面倒見のいいリン

 釜爺やリンのように、他人のこどもをキチンと叱ったり礼儀を教えたり。本気で心配してくれるような存在は少なくなっているように思える。しかし、今のこどもたちには、こうした大人の存在が必要なのかもしれない。

湯婆婆=過保護、カオナシ=現代の若者

なんとか油屋で働き始めた千(千尋)。油屋で出会う湯婆婆カオナシは、現代の教育が抱える問題を象徴している。

湯婆婆:強欲さ・過保護

油屋の経営者である彼女は、魔法によって欲望を満たそうとする存在だが、息子の坊に対しては、危険だからと言って、外に出そうとしない。過保護のメタファーだ。

坊:現代のこども

湯婆婆の過保護な教育を受けた現代のこども、外に出ると病気になると信じて、家から出ようとはしない。わがまま。

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わがままな坊

カオナシ:現代の若者

他人とのコミュニケーションが苦手で、感情を上手く表せない。また、他人から拒絶されることを恐れ、物で相手の気を引こうとする。拒否されると感情的になる。普段は存在感がなく内気であるが、急に態度が大きくなったりする。 これは対人関係が苦手で存在感を消したり、内弁慶な態度をとってしまう若者の行動を比喩的に表現していると考えられる。

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拒否されて感情的になってしまうカオナシ

大切なことは甘やかすことではなく働かすこと

その後、千は、ハクを助けるために、銭婆の元へ行くことを決心する。 銭婆は湯婆婆の姉であり、強欲で過保護な湯婆婆と違い、魔法に頼らない。銭婆はみんなで働くことの大切さを知っている。扉を開けるにも彼女は魔法を使わない。銭婆の下で、ネズミになった坊も、カラスになった湯バードも、カオナシも働くことを学んでいく。

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銭婆に教えられ、働くことを学んでいく

 就業体験型のテーマパーク「キッザニア」が日本でも人気だが、その背景には私たちが、こどもたちを働くということから、遠ざけ過ぎてしまったことが原因だと考えられないだろうか。 机の上で受験勉強に励むことも大切だろうが、江戸時代の丁稚奉公のように身体を動かして働くということが必要なのではないだろうか。 銭婆は、みんなで作った髪留めを千にお守りとして渡す。 それを受け取り千は、ハクと共に湯婆婆の元へと向かうのだった。

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銭婆の渡したお守りはみんなで作ったものだった

少女は成長し、そして油屋を卒業する。

湯婆婆の最後の試練をクリアした千は、湯屋を卒業し、元の世界へと帰っていく。

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千尋は油屋のみんなに別れを告げる。

「お世話になりました!さようなら!ありがとう」

それは、油屋にきたばかりの頃、釜爺にお礼も言えなかった少女が立派に成長した証。彼女は油屋で働くことを通じて成長できたのだ。 千尋は無事に元に世界に戻れたが、千尋の両親たちには異世界での記憶はない。 あの出来事は、一見夢の出来事のように思えるが、千尋の髪には銭婆が渡してくれた髪留めがそのまま残っている。 魔法であれば消えてしまったかもしれないが、みんなが一生懸命作ったものは最後まで残っていたのだ。

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千尋の髪に残る、銭婆が渡してくれた髪留め

作品の背景について

千と千尋の神隠し」が公開されたのは2001年。その1年後、2002年に小中学校でゆとり教育が施行されている。 学習内容及び授業時数を3割削減され、円周率が3になった。私たち大人は、こどもたちにもっと楽な生活をさせたいと考えがちだ。

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しかし、こどもを過剰に保護しようとするのは、大人のエゴなのかもしれない。こどもたちは本当はそんなに弱くない。 今でも街では、既に歩けるような大きなこどもがベビーカーに乗っていたりする。それはどこか坊を甘やかす湯婆婆を彷彿とさせる。 神隠しとは、本来あってはならないこどもの失踪のことである。しかし、現代の過保護な教育環境では、神隠しが起きなければ、こどもたちが成長することは難しいのかもしれない。

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こどもの本当の力を引き出してあげることこそ本来教育のあるべき姿なのではないか。「千と千尋の神隠し」からは、宮崎駿の教育へ対する問題意識が伺うことができる。

キルラキル、人はなぜ制服を着るのか?それとも着せられているのか?

こんにちは、東野です。漫学では、アニメや漫画の世界を文学のように、作品に込められたメッセージをより深く紐解いていきます。 本日の作品は「キルラキル

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「キルカ、キラレルカ」天元突破グレンラガン」の今石 洋之(監督)と中嶋かずき(脚本)が手がける「キルラキル」。作品を紐解くポイントは以下の通り

  • 女子高生の物語
  • 服とは何か
  • 「着せる側」vs「着る側」
  • 人と服の関係:着るのか、着せられているのか
  • 卒業について

女子高生の物語

キルラキル」は極制服と呼ばれる制服に支配された学校、本能字学園に纏 流子が転校するところから始まる。

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本能字学園に登校した纏 流子(まとい りゅうこ)

作品に登場する主要メンバーは、主人公(纏 流子)、ライバル(鬼龍院 皐月)、ラスボス(鬼龍院 羅暁・針目 縫)に至るまで全て女性である。

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主人公、纏 流子

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ライバル、鬼龍院 皐月(きりゅういん さつき)

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ラスボス、鬼龍院 羅暁(きりゅういん らぎょう)

 同スタッフで作成された「天元突破グレンラガン」が、エンジニアを主人公にした男の世界のアニメだとすると、「キルラキル」は、女子高生を主人公にした女の世界のアニメととらえられる。

服とは何か

流子が転校した本能字学園では、極制服と呼ばれる特別な制服によって、無星、一つ星、二つ星、三つ星と階級が与えられ、上の階級の極制服を着ることにより、強い力を手に入れることができる。

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軍服

 作品の冒頭で、鬼龍院 皐月の学生の制服についての台詞が興味深い。

「この国が学生に着せている制服、これは軍服を元にしている。男子の詰め襟は陸軍の、女子のセーラー服はその名のとおり海軍のものだ。この国は、若人に軍服を着せて教育することを選んだ国家だ」

この作品における服とは、主に制服のことを意味し、そして、服とは、制服のように人に役割を与え、人の役割を規定するものである。

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生命繊維

 物語が進んでいく中で、生命戦維と言われる宇宙から来た生命体が、服という形で人間に着られることで人類の進化を促したことが判明する。

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 人類の進化は服を着せられることから始まったのである。

「着せる側」vs「着る側」

物語は、世界を一枚の布で覆ってしまおうとするカバーズとその支配に抵抗しようとする本能字学園の生徒・反制服ゲリラ組織の「ヌーディスト・ビーチ」の戦いへと移行していく。

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ヌーディスト・ビーチ

世界を一枚の布で覆うカバーズ

「世界を一枚の布で覆う」とは何か。それは、服(役割)によって人を支配することである。彼らは服を着せようとする。 花嫁衣装と呼ばれていた「純潔」を母親である鬼龍院 羅暁が、娘である流子に着せて、自分の支配下にしようとするのは一つのメタファーであろう。

※「純潔」を着た流子には、生まれてから結婚までの「幸せな人生」の幻想が生まれている。

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結婚までの「幸せな人生」の幻想

服に支配されることのないヌーディスト・ビーチ

その一方、本能字学園の生徒・反制服ゲリラ組織の「ヌーディスト・ビーチ」が目指す世界とは何か。「ヌーディスト・ビーチ」が、服を着ないことで、服の支配を回避している大人の集団であるが、本能字学園の生徒は自ら服を着ながらも、服に支配されることのない、「ワケの分からない」個性と自由を持つ集団である。 彼らは自ら服を着ることを選択した人間なのだ。 皐月の台詞にある、下記のような一言が象徴的だ。

「今分かった。世界は一枚の布ではない。何だかよく分からないものにあふれているから、この世界は美しい。」

コラム:満艦飾 又郎について

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満艦飾 又郎

 マコの弟の又郎は、服による世界から逸脱した存在して描かれている。 小学校をサボってスリやカツアゲを行う。作品の冒頭では「義務教育にかまけているほど暇な身分ではない」との台詞もある。大文化体育祭の際には、制服をボディペインティングすることで、生命戦維の攻撃を受けずに済んだ。小学生である又郎は、まだ服(制服)を知らない存在なのである。

人と服の関係:着るのか、着せられているのか

大抵の人間は、生まれてからしばらくは親が着る服を選択する。つまり、親に服を着せられてることから始まる。自分がなりたい自分の姿をするのではなく、親の願望に合わせた姿をさせられている。 そうして、物心がつき中学生にもなると、今度は学校から指摘された服を着せられるようになる。これが制服だ。私たちは、結局服を着ているようでいて、本当は服を着せられているに過ぎないのである。 皐月の言葉を使えば、服を着た豚たちということになる。 しかも、

「人間は生まれてから20年も服を着ると服への抵抗感がまったくなくなる」

人間は、服(役割)を着せられ続けると、与えられた服によって支配されることに抵抗がなくなるのである。そうして、自分で服を選択することができなくなる。

女子高校生に対しての作品の問いかけ

そうなる前の女子高校生に対して、この作品は問いかける。制服は、効率的で画一的に支配である近代教育の象徴である。だけど、当の女子高生たちは決して画一的ではないはずだ。羅暁との戦いの前にマコは言う。

「帰ってきたらデートしよ!かわいい服着て、かわいいアクセサリーつけて、買い物したり、アイスクリーム食べたり、女の子が好きな服、好きに着て安心しておしゃれができる。そんな世界に流子ちゃんがしてくれる!」

女子高生は学校の支配に屈服する必要はない。制服を着せられる必要はない。もっと自由で個性的でいい。「訳の分からない存在」であるべきなのだと。

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その後

 今日の女子高生は土日にも制服を着ていく。大学生や社会人になっても、高校時代の制服を着てディズニーランドにいく人がいる。彼女たちにとって、制服は支配を意味しない。 むしろ、自分たちのアイデンティティの一つとして制服を利用する。彼女たちは、制服を「着る」のである。

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コラム:人衣一体について

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神衣鮮血

 流子の人衣一体とは「自分がありたい姿」と「服が与える姿」が一致していることである。それは、人と服とが互いの存在を高め合う、人と服との最高の関係となる。

卒業について

羅暁との戦いに無事に勝利した流子に対して、鮮血は言う。

「セーラー服とは卒業するものだ。これからは好きな服を着ろ。私よりもかわいい服をな」

当然のことであるが、卒業式を迎えると学生は制服を脱がなければいけない。 もはや与えられた服を着続けることはできない。自ら自分の姿を勝ち取らなければいけないのだ。 卒業生は、それぞれの道をゆく、鉄工所に就職、親の会社の後継者、大学進学、剣道の道、そこには制服のように画一的な姿など存在しない。

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これからは「自分のなりたい姿」ができる服をきていくことになるのだろう。支配の象徴であった本能字学園も、卒業式とともに崩壊する。 「キルラキル」は、制服の支配に抵抗し、自らの存在を主張し続けた「訳の分からない」集団が、それぞれの道へと歩みだす物語である。

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 キャッチコピーは、「キルカ、キラレルカ」。作品は、私たちに問う。本当に服を着ているのかと。

残業、合コンで金曜ロードショー「平成狸合戦ぽんぽこ」が見れない人のための解説

こんにちは東野です。 金曜ロードショー平成狸合戦ぽんぽこ」が見れないというという声を聞く。「残業が厳しくて、」「今日は合コンで、」——なるほど現代人は忙しい。仮に私一人が「残業も合コンもやめて、今日はぽんぽこ見ようよ!」などと言っても、恐らく誰も聞いてはくれないだろう。

 

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過去を何度もやり直した少女が出した答えとは。「時をかける少女」

こんにちは、東野です。 このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していきます。 本日の作品は「時をかける少女」。

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 今回は、昨日漫学でレビューをした「おおかみこどもの雨と雪」の細田守が監督している「時をかける少女」について、解説をしていきたいと思います。

高校時代の夏に対する日本人の感情

高校2年生の紺野真琴はひょんなことから、タイムリープの能力を手に入れて、高校2年生の夏を何度も繰り返すようになる。

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 高校2年生、文系・理系の選択迫られ、自分の進路が決まらない真琴。

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「何だかなあ…ずっと3人でいられる気がしてたんだよね、遅刻して功介に怒られて、球取れなくて千昭になめられて」

真琴は、親友の間宮千昭や津田功介とずっと今の関係を保っていたいと考えているが、功介は医学部への進学を考えており、また、後輩の女子から告白をされてしまう。 また、千昭は真琴に告白をするなど、3人の関係が徐々に変化し始める。

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 日本人は、どこかで「高校時代の夏」という時間に対して特別な感情を抱いていると考えられる。それは全力で挑むスポーツ大会の終わりや、受験生へと移行し大人への過渡期を迎えること、また、ただ単に宿題が終わってなかったなど、原因は様々考えられる。

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 日本人は高校時代の夏に対して、「もう一回繰り返したい」「終わってほしくない」という感情を持つと思う傾向があり、ひょっとしたら「時をかける少女」はそんな日本人の感情から生まれたのかもしれない。

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 ちなみに、原作は夏の設定ではなく、原作の「時をかける少女」の主人公芳山和子は、美術館で絵画の修復をする仕事をしている。

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時間を巻き戻すこと

真琴はタイムリープを使って何度も過去をやり直す。最初は時間を戻すことを満喫していた真琴であったが、そのうちに自分がタイムリープをすることで犠牲者が生まれることを知ってしまう。タイムリープによって、何度もやり直すがうまくいかない。

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 その内に、自分のためではなく、人のためにタイムリープを使用するようになる真琴、しかしその結果、親友の功介と藤谷果穂の事故死という最低の結末を迎えることになる。結局、時間を巻き戻すことは根本的な解決にならない。

「Time waits for no one.」

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 これは、作品中で理科室の黒板に書かれていたり、千昭がカラオケで歌っていた歌のタイトルである。 時間は不可逆的に進行してしまう。 一見矛盾するようであるが、「時間を巻き戻すこと」への否定こそ、「時をかける少女」の一つのメッセージである。

大切なのは、過去をやり直すことではなく、未来へ踏みだすこと

「待っていられない未来がある」これは「時をかける少女」のキャッチコピーである。 一見するとタイムリープ(過去を繰り返すこと)をテーマにしたこの作品に違和感を感じる人も多いのではないだろうか。 しかしこの作品は、単に過去を繰り返すだけのストーリーではない。過去を何度も何度も繰り返した少女が、未来へ踏みだすことを決心するストーリーなのだ。 作品の最後での真琴のセリフ、

「私もさぁ、実はこれからやることが決まったんだ」

いつまでも過去に居続けようとするのではなく、未来に向けて動き出す。

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 高校の夏は何度も繰り返してほしいと思うかもしれない。でも私たちは不可逆な時間を大切にし、一歩ずつ前に進まなければいけない。そこに、この作品のメッセージがある。

「サマーウォーズ」日本人が忘れかけたSNSより大切なものとは?

こんばんは、東野です。 漫学は、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していきます。本日の作品は「サマーウォーズ」。

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「つながり」こそが、ボクらの武器。

今回は、「時をかける少女」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守が監督している「サマーウォーズ」の解説。 本作品のメッセージを紐解く鍵を、3点、ご紹介します。

  • 最強の人工知能 VS 人類
  • 応援してくれる人とのつながり
  • 家族のつながり

最強の人工知能 VS 人類

FacebookやLINEのようなSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)が乗っとられた。というのが、本作品の設定だ。最強の人工知能が次々とアカウントを乗っ取っとられ、現実社会でつぎつぎと問題が起こっていく。

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そんな時、人類はどう立ち向かっていくべきなのか? 人工知能ラブマシーンとの対決は、最初は佳主馬が一人で戦うも敗れ、次に陣内家の男性陣らで戦うも敗れ、最終的には世界中の人々が加勢してやっと勝利する。

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人間一人一人の存在は小さなもの。しかし親戚一同の力が結集し、世界中の人と一体となることで、より強い力を発揮することができたのだ。

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キャッチコピーにもなっている「つながり」は、確かに人類の最強の武器なのかもしれない。 ラブマシーンで混乱する中、おばあちゃん(陣内 栄)は一人ひとりに電話をかけ、

「あんたならできる。できるって」

と励まし続ける。

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大事なのは昔のように、人と人とが声をかけ合ってコミュニケーションをとること。

今日、我々の生活はメールやSNS上だけのコミュニケーションになりがちである。 お盆や年末に帰省が減少したり、家族の誕生日などをメールですませてしまったり、会話をしたり、対面でコミュニケーションをする機会が減ってきていないだろうか。 オレオレ詐欺やLINEアカウント乗っ取りは、SNS、メールによるコミュニケーションの減少やインターネット依存から生まれてきたものだ。 サマーウォーズが「SNSの乗っ取り」「つながり」を映画のテーマにしたのは、私たちのSNSや「人とのつながり」に対する向き合い方へ、細田守から警鐘が鳴らされているということなのだ。

つながりがあるから、人は強くなれる

サマーウォーズ」は登場人物の数が多いので見過ごしがちだが、キャラクターを横串で考えると、それぞれの物語がよくわかる。ここでは、主人公の小磯 健二と「キング・カズマ」の池沢 佳主馬に注目してみる。

小磯 健二

主人公の小磯健二は、数学オリンピックの日本代表に惜しくもなれなかった。 ラブマシーンから送られてきた暗号を最初は誤って解答するが、2回目の暗号では正しく解答することに成功し、物語の最後では、みんなが応援する中で、3問連続で正解する。(3問目は暗算)

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池沢 佳主馬

格闘ゲームの世界的チャンピオンの「キング・カズマ」。しかし人工知能ラブマシーンとの最初の勝負には敗れてしまう。 2回目のラブマシーンと試合では、陣内家の男性陣らの協力もあったが惜敗。3回目はみんなに支えられながら、ついに、ラブマシーンへトドメをさすことに成功する。

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健二も佳主馬のように、実際には個人で行っていることでも、応援してくれる仲間が増えることで高いパフォーマンスを出している。 陣内 栄の遺言がそれを物語る。

「一番いけないことは、一人でいること」

私たちは、誰かと一緒にいることで、それだけで、力をもらっているのかもしれない。

人類最古のネットワーク 「家族」の力

この作品のテーマは「家族とのつながり」だ。 主人公の健二は、父親が単身赴任中、母親も仕事が忙しいため家では大抵一人だった。そういう家庭が増えてきた現代社会。

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人と人とのつながりが希薄になりやすい現代社会だからこそ、人類はもっとつながりを大切にすべきだ。 SNSで世界中の人とつながることも大切。でも、家族とのつながりも大切。 「サマーウォーズ」は、細田守からそんなメッセージが込められた作品である。 陣内 栄の遺言で今回の記事を締めよう。

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「家族同士、手を離さぬように。人生に負けないように。」 「私は、あんたたちがいたおかげで大変幸せでした。」