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「コクリコ坂から」ネタバレ考察:宮崎駿が現代に残したかったモノ

コクリコ坂から」は、1963年、東京オリンピックの前年を舞台に高校生の男女の恋を描いた作品。50年以上前の高度経済成長期の日本の様子を伺うことができる。

当時と比べるとかなり豊かな暮らしを手にしているはずの私たちだが、本当に幸せになっているのだろうか?

 

作品テーマ:便利さと引き換えに現代が失ったモノ

不便だと思うことが不便

「豊かさとは何か?」なんてことが言われて久しいが、作品の中には、時代を象徴するシーンが多数描かれている。

台所ひとつとっても、釜戸で炊くご飯、床下から取り出すタマネギなど

そこには、現代からすると「不便」と思われて、排除されてきたものばかりである。

 

「でも、」と考え直してみる。

 

それは、本当に「不便」なものだったのであろうか?

この時代の人にとってはそれが当たり前であり、彼らにとっては、「不便」でもなんでもないことなのかもしれない。

 

逆にいろんなものに対して、煩わしさを感じてしまう現代の人間こと、不幸なのかもと。

※携帯の電波がつながらないことに苛立つなんてことは、現代ではざらにあることだが、そんなことを感じてしまう現代は本当に幸せなのであろうか。

 

「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることとおなじじゃないのか!人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか!新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君たちに未来などあるか!」 

 

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討論会で発言をする俊

 

探究心も、また現代人が失ったものの一つ 

太陽の黒点の観測を10年もしながら、全くなにも解明できていない学生。部室をもたずに、ディオゲネスのごとく、哲学を研究する学生。作品の中で登場するカルチェラタンは、そんな「探究心」の固まりである。

 

携帯でなんでも調べられる時代には、好きなことを研究するという余裕すら与えられていないのかもしれない。

 

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黒点の観測をする学生

 

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海たちに哲学の魅力を語る学生 

 

「少女よ君は旗をあげる なぜ」  

朝鮮戦争で亡くなった父親にむけらて毎日信号旗を揚げる海(メル)。 

核家族化が進んだ今、この亡き父への信号旗のように、私たちは死者に対してメッセージを送ろうとすることは減ってきているのではないか?

 

また、海(メル)と俊の告白のシーンに関しても、作者の意図を感じられる。

携帯での告白が当たり前になりつつある現代と違い。直接、相手に対して自分の気持ちを伝えるというのは、大切なことなのかもしれない。海の告白を受けて、俊が手を握るシーンも直接伝えるからことのコミュニケーションであろう。

 

「私が毎日 毎日 旗をあげてお父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに風間さんを贈ってくれたんだと思うことにしたの」「私、風間さんが好き」 

 

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俊に想いを直接伝える海 

 

作品の最後、海(メル)は、結局、信号旗を揚げることになるのだが、

それは、物語の最初とは、別の意味をもち、俊への信号旗(メッセージ)となっている。

俊が信号旗に対して、汽笛を返して物語は終わる。

 

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信号旗を掲げる海

 

信号旗は、現代人のコミュニケーションに対するアンチテーゼだ。

 

現代はメールやLINEが発達して、より簡単にコミュニケーションがとれる社会になってきているが、コミュニケーションは、単に物事を伝達することが目的ではなく、海(メル)のように、亡くなった父親にむけて毎日信号旗をあげるという、コミュニケーション自体が意味を持つこともあるのではないだろうか。

 

また、汽笛を鳴らすだけの方が、想像力が働き、通常の言葉によるコミュニケーションよりも、反って相手に自分の気持ちを伝えられるのかもしれない。

 

また討論集会のように、自分の考えを主張するというコミュニケーションも

少なくなっているコミュニケーションなのかもしれない。

「堂々と自己の真情を述べよ!」とは、まさに現代にむけられたメッセージそのままのようにも思える。

 

宮﨑駿が現代に残したかったモノ  

コクリコ坂から」は、技術が進歩し便利になった「現代が失ったモノ」の世界を移している。現代からすれば、不便に思えるような社会で生きる人々の生活だが、そこには人間味があり、好きなことに真っ直ぐに向き合える環境があった。

 

徳丸理事長の質問に対して海(メル)は応える。

 

「君はどうして清涼荘を残したいの?」

「大好きだからです、みんなで一生懸命お掃除もしました。」

 

好きだから。それはきっとカルチェラタンにいる学生全員と同じ気持ちであろう。

受験戦争や学歴社会だけはなく、好きな事を学ぼうとし、それを守ろうと必死になれる人間がいる。

 

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作品は朝鮮戦争を経験し・オリンピックを控え日本の景気が回復してくころの話。

2020年に東京オリンピックを控え、新しい時代を迎える私はまた過去を振り返ることなく、

 

宮崎駿さんは、きっとそういう世の中の幸せのあり方について、

現代の人間にメッセージを送りたかったのではないだろうか?

 

・おまけ 

コクリコ坂から」に関しては、わかりにくい点についての解説

 

■主人公の海はなぜ、「メル」と呼ばれているのか。

 ⇒海をフランス語に訳すと、ラ・メール(la merとなる)になることから、メルと呼ばれている。 

 

■海(メル)の揚げている信号旗の意味

 ⇒「U・W」(安全な航行を祈る)を意味する。

ちなみに風間俊が乗るタグボートの信号旗の意味は、海(メル)への返信で「ありがとう」を意味する。

 

哲学研究会と徳丸理事長の会話

徳丸理事長「君は新しい部室が欲しくないかね?」

哲学研究会「失礼ながら閣下は、樽に住んだ哲人をご存じでしょうか?」

徳丸理事長ディオゲネスか・・・ハハハハハ」

 ⇒徳丸理事長の質問に対して、哲学研究会は外見にまったく無頓着で、樽に住んだ哲学者ディオゲネスを逸話で応えたのである。

 【参考】ディオゲネス (犬儒学派) - Wikipedia

 

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朝鮮戦争で亡くなった父親、(LST)とは?

なぜ朝鮮戦争で日本人が?と思う方もいるかもしれないが、詳細の解説については、下記を参照いただきたい。



ピカドンとは?

立花の子供(風間俊)を引き取ったときの澤村雄一郎のセリフ「親戚はみんなピカドンだ」立花が亡くなった時その親戚は既に原爆でなくなっていたのである。