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「DEATH NOTE」、現代人はなぜ人を殺すのか?

なぜ、夜神月は優秀な学生でありながら、大量殺人をするようになったのか?

漫画「DEATH NOTE」の第一話のタイトルである「退屈」から物語を紐解いてみる。

 

夜神月=近代、リューク=前近代

天才高校生の夜神月を全国で学年トップの成績でありながらも退屈し、死神のリュークは死神界での遊びに退屈していた。

そんな二人が自分たちの世界に「退屈」することで、物語は始まる。

 

近代教育の頂点に君臨する夜神月は近代側の人間の象徴、

一方で神々の世界にいるリュークは前近代の象徴だ。

 

「退屈」は近代の合理性も前近代の宗教性を凌駕し、悲劇の世界を生み出す。

 

DEATH NOTE」は愉快犯の物語

正義のためと大義名分を掲げながらたくさんの人を殺し始める夜神月の姿は、自身のストレス発散のために自分とまったく関係のない人間を殺す愉快犯の姿とどこかかぶらないだろうか?

 

夜神月は自らを新世界の神と呼ながら、

次々と犯罪者をDEATH NOTEで殺してゆき

やがて世界的な大量殺人につながっていく。

 

夜神月は言う

 

「僕は新世界の神になる」

 

今、こんな殺人が現代社会にも起きていないだろうか。

 

「面白くなかったので、人を殺しました」

 

退屈した人間が殺人を生み出すことを示唆しているのである。 

 

もし退屈が殺人の動機になりえるならば、

私たちの一人ひとりの根底には殺人への動機が眠っていることになる。

 

私たちは面白半分で人を殺そうとする本能があるのか?

 

物語は、私たちに人間の本質を突きつけているように思える。