漫学:アニメや漫画を哲学のように紐解くサイト

アニメや漫画の時代背景などを紐解いて、もっと深く楽しめるサイトです。ビジョン:日本を代表する文化である漫画・アニメの新しい見方を世界中に広げていくこと。ミッション:学びとなる知識や教養の発信することで、漫画・アニメに新たな価値を付与する。

ハウルの動く城のネタバレと考察「若者はなぜ戦争にいかなければいけないのか?」

こんにちは、東野です。 このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していこうとしています。 本日の作品は「ハウルの動く城」について。

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「天元突破グレンラガン」エンジニアよ、大志を抱け!

こんにちは、東野です。 このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していこうとしています。本日の作品は「天元突破グレンラガン」について。

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天元突破グレンラガンは、2007年に放送されたロボットアニメ。地下で穴を掘るだけの毎日だったシモンは、カミナとともに地上の世界へ行き、やがて宇宙の運命に風穴をあける。

作品のテーマは「変革vs安定」

人類が進化すれば、人口が増え、増えた分だけ自然を破壊し、住む場所を争わなければいけない。人類は進化に対してどのように向き合うべきなのか。 成長を抑えて我慢して生活する安定を求めるべきなのか、それともリスクをとって変革に挑むべきなのか。作品は問いかける。

シモン=Apple創業者・ウォズニアック

主人公のシモンは暗い洞窟の中、黙々と作業をこなす。特技は穴を掘ること。

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「毎日、毎日掘ることだけが俺の仕事だ」

地味で地道な毎日を過ごすシモンを周囲の女子は「きもい」「臭い」と馬鹿にする。

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「やだー、穴掘りシモン」 「毎日毎日、土まみれになってなにが楽しいんだか」 「キモいよね」「臭いしね」

しかし、そんなシモンに対して、同じ地下で暮らすカミナは、言う。

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「お前のドリルは天を突き破るドリルなんだよ!」

カリスマリーダーのカミナと、天才エンジニアのシモン。この二人が紅蓮団という組織を創り、ラガンという機械を手に入ることで物語は始まる。 一見出来すぎた作り話のように思えるかもしれないが、どこかアップルの創業期を彷彿させる。 1976年、アップルは創業期に、カリスマ性のあるスティーブ・ジョブズとエンジニアのウォズニアックがアップルコンピュータを設立し、「Apple I」を製作する。 ジョブズとウォズニアックの二人で始まったアップルの主役は、ジョブズになるだろうが、一方で「天元突破グレンラガン」の主人公シモンは、ウォズニアックタイプの人間だ。 この作品はシモンのように、毎日を地道な作業をしているエンジニアに向けられた物語だ。

作品のメッセージは、「Think different」

天元突破グレンラガンは地下で毎日穴を掘っていた少年が、カミナと共に次々と仲間を増やし、やがては全宇宙を巻き込んだ戦いに挑むという物語である。カミナは既成概念にとらわれず、トライアンドエラーを繰り返して紅蓮団を牽引していく。

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常識破りで、既成概念にとらわれない紅蓮団のやり方は、最初は「バカだ」「無茶だ」と否定される。 さらに紅蓮団には常に対立する存在がいる。ジーハ村の村長やマギン村の司祭、ロージェノム、アンチスパイラル。 変革を恐れ抵抗する人間は、現実の世界にも、たくさんいる。だが、彼らは決して世の中にとって悪な存在ではない。安定を望む存在のほうが、マジョリティだろう。

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リーダーだったカミナの兄貴の戦死。仲間からの裏切り。その他にも、紅蓮団には様々な困難がつきまとう。

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しかし、真に世の中に変革をもたらす者は、そこで立ち止まったり、恐れたり、諦めたりしない。

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「いけ、シモン。もしとか、たらとか、ればとか、そんな思いに惑わされるな。自分が選んだ一つのことが、お前の宇宙の真実さ。」

穴を掘る毎日だった少年は、やがてカミナの言う通り本当に「天を突き破る」。 カミナの強烈なリーダーシップとビジョン、シモンの高い技術力と気合い、そして多くの仲間と共に、様々な困難を乗り越えて大宇宙で変革をもたらす物語は、世の中に変革をもたらそうとした挑戦者へのメッセージだ。 最後に、変革に挑戦したApple Inc.の1997年のスローガン『Think different』で、今回の記事を締めよう。

『Think different』 Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward. While some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do. クレージーな人たちがいる はみ出し者、反逆者、厄介者と呼ばれる人達 四角い穴に 丸い杭を打ち込む様に 物事をまるで違う目で見る人達 彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない 彼らの言葉に心を打たれる人がいる 反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる しかし 彼らを無視することは誰にも出来ない 何故なら、彼らは物事を変えたからだ 彼らは人間を前進させた 彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う 自分が世界を変えられると本気で信じる人達こそが 本当に世界を変えているのだから

コラム:ニアは2Dキャラクター!?

ヒロインのニアは、螺旋王に人形のように捨てられ、物語の後半で通常の人間ではなく、「仮想生命体」であることが判明する。ニアは、アニメとかゲームの女性「2Dキャラクター」のメタファだ。

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彼女の言動や外見(特に瞳)に、どことなく他のキャラクターよりも2Dらしさが強調されていることにも納得がいく。 エンジニアであるシモンがニアを恋する対象とするのは、エンジニアへの偏見だろうか。しかし、物語の最後でシモンとニアは結婚式を挙げることになる。ニアは結婚式の途中で消えてしまうが、作品は、シモンとニアの結婚を否定的には描くことはなかった。

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「魔法少女まどか☆マギカ」が「美少女戦士セーラームーン」の原点である理由

こんにちは、東野です。 このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していこうとしています。 本日の作品は「魔法少女まどか☆マギカ」について。

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魔法少女まどか☆マギカ」は、2011年に放送されたシャフト制作のアニメ。中学2年生の少女が魔法少女となり、希望と絶望を繰り返す物語だ。 作品のテーマは、少女(女性)の理想の世界。

美少女戦士セーラームーン」のパロディ?

魔法少女まどか☆マギカ」は、「美少女戦士物」の先駆けとなる「美少女戦士セーラームーン」と類似点が多い。

主人公の類似点

まず、主人公については、「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目まどかも「美少女戦士セーラームーン」の月野うさぎも中学2年生。学年が一致している。ほかにも胸元のリボンが似ていたり類似点が多い。

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鹿目まどか月野うさぎ、学年だけでなく髪型の特徴や制服のりボンなど類似する点が多い

猫の存在

加えて、どちらも猫のようなマスコットキャラクターが登場し物語が始まる。彼らによってごく普通の中学生が戦う戦士へと変身することになる。

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敵キャラクターは心の闇から生まれる

敵キャラクターである魔女と妖魔は互いに人の心の闇から生まれる。欲望や嫉妬や絶望、憎しみなど、心の闇と戦う。

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最後の姿はウェディングドレス

最後に宇宙規模の戦いになり、主人公はなぜかウェディングドレスのような姿になる。女性の究極の姿というのは、ウェディングドレスということなのであろう。

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 いかがであろうか、ここまでで、まどか☆マギカセーラームーンの影響を受けた作品であることは明らかであろう。 「魔法少女まどか☆マギカ」で言うところの魔法少女とは、少女の憧れの存在である。つまり、美少女戦士セーラームーンシリーズやプリキュアシリーズにでてくるような戦う女性ヒーローのメタファなのだ。

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まどかのノートからは、魔法少女への憧れの気持ちが伺うことができる

少女はみんな魔女になる!?

それでは、「美少女戦士セーラームーン」と「魔法少女まどか☆マギカ」の違いを考えてみよう。「魔法少女まどか☆マギカ」の世界では、希望と絶望がセットでおこる。

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「奇跡ってのはタダじゃないんだ。希望を祈ればそれと同じ分だけの絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きをゼロにして世の中のバランスは成り立ってるんだよ。」

魔法少女になることを夢見ていた少女たちも、希望を叶えればその対価として絶望に陥ることになり、やがては魔女となるか、あるいは魔女との戦いで命を落とすことになる。

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 希望が叶った分だけ、必ず絶望が存在する。これこそが、魔法少女への憧れの気持ちを絶望へと叩き落とす、魔法少女まどか☆マギカ魔法少女まどか☆マギカたらしめるルールなのである。

キュゥべえは男性のメタファ

他の戦う少女アニメにも妖精などのマスコットキャラは存在するが、「魔法少女まどか☆マギカ」のキュゥべえは、少女と対局の位置に存在するものとして登場する。キュゥべえは少女に時折、理屈っぽく残酷な言葉を投げかける存在だ。 「女性は感情の生き物」という言葉があるが、感情を持たず理屈のみで話すキュゥべえは、夢見る少女に現実を突きつける男性のメタファなのである。 「訳が分からないよ。」というキュゥべえの台詞は、女性の言動に対する男性の気持ちを代弁している。

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「この国では、成長途中の女性のことを、少女って呼ぶんだろう?だったら、やがて魔女になる君たちのことは、魔法少女と呼ぶべきだよね」

その一方、魔法少女を魔女へと変化させるきっかけを生み出しているのも、またキュゥべえ(男性)自身だ。心の中の闇とともに少女が女性へと成長する。その心の闇のインキュベーター(孵化装置)は、少女に希望とともに絶望を与える男性の存在なのだ。

まどマギは、美少女ヒーローの創成物語

ワルプルギスの夜を迎え、一人で戦うほむらであったが、用意した策も歯が立たずに終わる。何度時間を繰り返しても、結局まどかを救うことはできない。そう諦めかけた時、まどかは魔法少女になる決意をする。

「今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」

という第一話のほむらの台詞に対して、最終話では

「ごめんね。私、魔法少女になる」

とまどかが答える。

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「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを希望を信じた魔法少女を泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる。変えてみせる。これが私の祈り、私の願い。さあ、叶えてよ、インキュベーター!!」

因果を断ち切ったまどか

希望と絶望が表裏一体であった世界。まどかは「希望⇒絶望」の因果を断ち切り、希望に満ちた世界を創造する。これは、単に「魔法少女まどか☆マギカ」の世界で完結しない。他の少女アニメの世界の誕生へとつながっていく。 「魔法少女まどか☆マギカ」は、セーラームーンシリーズやプリキュアシリーズのような美少女ヒーローの創成を描いた物語なのだ。 さきほど挙げたまどか☆マギカセーラームーンの類似点も、このように紐解いていくと味わい深い。 全ての少女は夢を見る。「希望と絶望」が表裏一体なんてことは関係ない。美少女ヒーローがキュゥべえによって汚されることのない世界。希望に満ちあふれた少女が夢見る世界が誕生した。

劇場版へ続く

だが、ここで終わらないところが、「魔法少女まどか☆マギカ」の面白い点である。「劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」によって、ここまでの解釈とは全く別のテーマ・メッセージが見えてくるのだが、そちらは、次回以降で。

「涼宮ハルヒの憂鬱」からみえる現代人の理想の恋人とは?

こんにちは、東野です。 このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していきます。 本日は「涼宮ハルヒの憂鬱」について。

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涼宮ハルヒの憂鬱」は2006年から2009年にかけて放送された株式会社京都アニメーションの代表作。男子高校生のキョンと破天荒な高校生ヒロイン、涼宮ハルヒが「SOS団」で繰り広げる学園ストーリーだ。 作品のポイントは3点。

リアルに歩みよるアニメ

これは作品の物語とも大きく関係してくるのだが、「涼宮ハルヒの憂鬱」には視聴者を引きこむためのさまざまな仕掛けがある。

アニメの世界からの脱却

アニメオタクはアニメを見ることでアニメの世界に陶酔し、あるいは自分がアニメの世界に近づいていこうとすることが多い。具体的な例だと、アニメのグッズを購入して身につけたり、部屋に飾ったり、時にはイベントに参加したりすることが、それにあたる。 しかし「涼宮ハルヒの憂鬱」には、アニメの側からリアルの世界に歩みよる仕組みがある。たとえばOPでは作品の「超監督」として登場人物の「涼宮ハルヒ」の名前があったり、作中で「涼宮ハルヒ」が作成したDVDがそのまま現実世界でDVDとして販売されたりしている。これらは、アニメの登場人物にすぎない「涼宮ハルヒ」があたかも現実世界にいるような演出をしているのだ。

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 アニメOP、他のスタッフの紹介の後に超監督涼宮ハルヒ

またCM自体も実写にすることで、アニメの世界からの脱却を狙っているのだろう。

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 涼宮ハルヒの憂鬱のCMはアニメではなく、実写版となっている

アニメの世界の疑似体験

さらにエピソードのひとつ「エンドレスエイト」では、第12話から19話にかけてほとんど同じ話が繰り返される。これは、物語で登場人物が何度も夏休みをループする体験を、視聴者にも疑似体験させているのだ。毎週放送を楽しみにしていた視聴者が8週間、8回にわたりほぼ同じ作品を見る。これには、登場人物たちが1万5千回以上も夏休みをくり返していることを疑似体験させる効果がある。

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 エンドレスエイト。第12話-19話の8話分ほぼ同じ内容が繰り返される。OA時には8週間にわたって、視聴者はアニメの世界を疑似体験することになる

また同シリーズの映画「涼宮ハルヒの消失」では、物語の開始1時間後にようやくヒロインのハルヒが登場する。これも、主人公のキョンと視聴者の心境をシンクロさせるのが狙いであろう。

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 「涼宮ハルヒの消失」でハルヒと再会するキョン。視聴者もまた2時間40分の映画で1時間近くハルヒを消失していた

つまり「涼宮ハルヒの憂鬱」では、リアルの世界にいながらアニメと共通の体験や感情をともにできるのである。これまで一方的にアニメにラブコールを送るしかできず、ジレンマを感じていたアニメ好き(アニメオタク)からすれば、アニメ側から視聴者に歩みよってくる夢のような作品だと感じられるだろう。

涼宮ハルヒの憂鬱」は誰のものなのか?

涼宮ハルヒの憂鬱」はヒロイン・涼宮ハルヒの願望によって物語が進められていく。たとえば彼女が宇宙人、未来人、超能力者と出会いたいと思えば、宇宙人、未来人、超能力者が登場する。ほかにも目からビームが出たり、黒い鳩が白くなったり、猫がしゃべったり……さまざまな超常現象が涼宮ハルヒの願望と共に巻き起こっていく。 このように「涼宮ハルヒの憂鬱」とは、涼宮ハルヒ涼宮ハルヒによる涼宮ハルヒのためのアニメということになっているのだが、はたして本当にそうなのだろうか? 仮に涼宮ハルヒが本作品を構成しているのだとすれば、その涼宮ハルヒ自身を創造したものがいるはずだ。実は、それがキョンなのである。 「憂鬱」から一貫して、ハルヒの面倒ごとに嫌々ながら奮闘するというスタンスだったキョン。だが「涼宮ハルヒの消失」では自ら涼宮ハルヒのいる世界を選択する。ここで肝心なのは、キョンは視聴者の代弁者であるということ。つまり、涼宮ハルヒの憂鬱」という作品は、視聴者の願望をそのままアニメにした作品なのである。 涼宮ハルヒのように、自分を好きでいていくれて、なおかつ平凡な自分を破天荒な世界へと誘ってくれる可愛い女子。視聴者の願望の世界、それが「涼宮ハルヒの憂鬱」の正体なのだ。

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 「涼宮ハルヒの消失」自身の願望に自問自答するキョン

「これで最後だ。はっきり答えろ。俺はハルヒハルヒの起こす出来事を楽しいと思っていたんじゃないのか? 言えよ。」

涼宮ハルヒの「憂鬱」は視聴者の憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱」の背景にあるものとは?

それでは、「涼宮ハルヒの憂鬱」のメッセージとはなんなのか?そもそも涼宮ハルヒの「憂鬱」とは何だったのだろうか? それは、現代社会への「退屈」ではないだろうか。 私たちは普通の人と普通の生活を送ることに満足できなくなっている。携帯を手にしてゲームをし、暇をつぶし、何気なく学校や会社に通う。こんな日常よりも、もっと刺激的な日々を求めている。 しかしそれはリアルの世界では叶わない。たとえアニメに熱いまなざしを向けても、見終われば独特のむなしさが残る。リアルとアニメには越えられない境界があり、一方的な羨望をそそぐだけになるからだ。だから「涼宮ハルヒの憂鬱」のような、視聴者に歩みよる作品が必要になるのである。涼宮ハルヒの「憂鬱」や「退屈」とは、いわば視聴者が抱えている「憂鬱」や「退屈」そのものなのである。

「恋人との非日常」よりも「破天荒な女友達との日常」

そう考えると、現代人の恋愛感についても見えてくるものがある。 というのも「涼宮ハルヒの憂鬱」では、恋愛を連想させる描写が少ないのである。「涼宮ハルヒの憂鬱 VI 」でキスシーンがあるものの、あくまで夢の中の話で、告白やつき合うといったこともない。視聴者が求めるのは、運命的な恋愛や大掛かりな大冒険の末の恋ではない。破天荒なまでに明るい少女との「日常」なのである。現代人は「恋人との非日常」より「女友達と暮らす日常」を欲しがり、現代社会の「退屈な日常」を「涼宮ハルヒ」によって解消しているのである。

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 大冒険や世界を救う旅もない、特殊能力や特別な才能もいらない。今の男性が望んでいるのは、自身はごく普通の一般人でありながらも、破天荒で明るい美形の女子にふり回されることなのだ。草食系男子が増えているのにもうなずける。

「天空の城ラピュタ」のネタバレと考察。戦争を忘れてはいけない。バルスは存在しないのだから

目覚ましい発展を遂げる文明の裏には常に軍事が影を潜めている。どれだけ文明が発達しても、人は地球から離れて生きていくことはできない。 今回ご紹介する「天空の城ラピュタ」は、文明の終焉を描いた作品である。

作品テーマ:「軍事開発と文明の進歩」

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舞台は第一次産業革命

主人公のパズーはスラッグ渓谷の鉱山で働く見習い機械工だ。

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バルブにより蒸気をコントロールするパズー

 町には電気はなく石炭による蒸気機関が主なエネルギー源だった。

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蒸気機関車に石炭をいれるパズー。蒸気機関車第一次産業革命の代表的な存在である

地上を支配していたラピュタ帝国

パズーは父親が見たというラピュタの実在を証明することを夢見ていた。ある日空から落ちてきた少女シータと出会い、700年以上前に滅んだとされるラピュタを目指すことになる。シータが持っていた飛行石は高い科学技術で作られていた。ラピュタ帝国はかつて、圧倒的に高い科学力で天空から全地上の世界を支配していたのだった。

コラム:産業革命とは?

産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。(Wikipediaより) また、産業革命現在四段階ある。
  • 18世紀末からの水力と蒸気機関による工場機械工業導入の第一次産業革命
  • 20世紀初頭の電気による大量生産が可能になった第二次産業革命
  • 20世紀後半の電子技術によるIT化、ファクトリーオートメーションの第三次産業革命
  • 21世紀のIoTやAIに代表される第四次産業革命
一般に産業革命というと第一次産業革命のことを指す。

文明の裏には常に戦争が影を潜めている

それでは、天空の城ラピュタとは何か? 飛行石の力を利用して浮遊するラピュタは、高度な文明のメタファだ。

ラピュタは高度な文明のメタファ

確かに上空から見ればラピュタは高度な文明にしか思えないだろう。そこでは豊かな生活が営まれていたことが想像される。しかし忘れてはいけないのは、その高度な文明の下には兵器が備え付けられているということである。文明は兵器の開発によって進歩してきたのである。

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恐ろしい破壊力を持つラピュタの雷(いかづち)

庭園と兵器、ロボットの姿は一緒

またパズーとシータはラピュタの庭園でロボットに会う。墓に花を添え、動物たちと触れ合う心優しいと思えるロボットもその技術も、もともとは兵器のために開発されたものである。庭園のロボットと同じ姿をしたロボットがラピュタの地下に潜んでいて、普段は目につかないようになってる。有事の際にはゴミのように人を殺戮してくのだ。宮﨑駿が庭園のロボットと兵器としてのロボットの姿を同一にした背景には、普段私たちの生活にも兵器として開発された技術が潜んでいることを伝えたかったからなのかもしれない。

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お墓に花を添える優しいロボットも兵器として開発されたものなのだ。

インターネットも軍事利用として発達した

文明の発達と軍事の関係は切っても切れない関係にある。たとえば、今や世界中で当たり前のように使用されているインターネットも、もともとは冷戦時代に旧ソ連人工衛星開発に対抗しアメリカが開発した。また宇宙技術は米ソの宇宙開発競争により飛躍的に発達している。戦争目的の下、私たちの生活が飛躍的に向上してきたことは歴史的事実なのである。

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高度な文明の象徴であると同時に強力な兵器でもあるラピュタは、その事実を私たちに訴えかけている。

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シータの救出の前に、飼っていた鳩を逃がすパズー。10代前半の少年が平和の象徴である鳩と別れる印象的なシーン

 人類は文明とどう向き合うべきなのか。文明が進化すれば人類は幸せになれるはずだ、と多くの人が信じている。だが一方、戦争で人を殺す兵器開発のために、高度な文明がもたらされたのも事実である。私たちの生活は、戦争で人を殺そうとすればするほど豊かになってきたのだ。

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ムスカの考えは本当に間違っているのか?

拳銃を向けるムスカにシータは訴えかける。

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「今は、ラピュタがなぜ亡びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬をこえ、鳥とともに春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ

すでに地球上の多くの都市がアスファルトに覆われていて、土を見る事も触れることもできなくなってきている。私たちは既にアスファルトによって、「土から離れた」生活をしてきている。今はまだ未開拓の地域に対しても今後は開拓の手が進められるだろう。ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化や日本の明治維新のように、高度な文明が発展途上の文明をすぐに覆い尽くしてしまうからだ。グローバル化によってこの流れはますます加速していくだろう。 先ほどのシータのセリフに対してムスカが言う。

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ラピュタは亡びぬ、何度でもよみがえるさ。ラピュタの力こそ人類の夢だからだ」

私たちはムスカを否定することはできない。この言葉も私たちにとって事実だからだ。私たちは第四次産業革命を迎えようとしている。ロボット技術や宇宙技術は今後、目覚ましい発展を遂げることだろう。そうなれば人類はますますラピュタの文明に近づいていくことだろう。それは、紛れも無く私たち人類が夢見た世界だ。

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作品は戦後40年を過ぎた1986年に公開された。冷戦の影響により、各地で内戦や紛争が続いていた時代だった。一方で日本はバブル期に突入し景気は上昇、生活は大きく変化し始めた。「天空の城ラピュタ」は戦争を忘れかけた日本人に対する宮﨑駿からのメッセージなのだ。私たちは戦争や環境破壊など、文明の負の側面から目をそらすべきではない。現実の文明に「バルス」は存在しないからだ。 文明は不可逆的であり、引き返すことも自ら滅亡させることもできない。だからこそ、私たちは、日々進化する文明の中でどう生きていくべきなのかを、真摯に向き合わなければいけない。地球上に文明を築き上げてきた人類だが、それでもいつかは本当に文明を終わらせなければいけない日がくるかもしれない。「天空の城ラピュタ」は、いつか来るかもしれない文明の終焉を描いている。

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ドラゴンボールの超サイヤ人が金髪になる本当の理由

こんにちは。東野です。 本日はドラゴンボールについて、お話をしたいと思います。

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  ドラゴンボールは、主人公の「孫悟空(そんごくう)」がどんな願いも叶えるドラゴンボールをきっかけに、世界中をめぐり強敵と戦う孫悟空の成長を描いた物語です。

孫悟空黄色人種の象徴だった

ドラゴンボールと聞くと、おそらく「冒険」や「バトル」などを想像される方が多いのではないかと思いますが、私はこの作品を「人種」という視点で解説してみたいと思います。   主人公の孫悟空は、黄色人種です。 名前や育て親の孫悟飯の服装などから判断するとアジア人に近いと想定されます。

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物語が進むにつれて、孫悟空が、惑星ベジータからきた宇宙最強の戦闘種族サイヤ人だとわかり、強敵フリーザとの戦いで、伝説の戦士、超サイヤ人へとなります。   この超サイヤ人の時の孫悟空の姿は、金髪となり、鼻も高くなり、瞳も緑になります。

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ここでわかるのは、作者の鳥山明は、黄色人種よりも白人の方が強いものとして、表現していることです。そして読者である私たちはそれを(自然と)受け入れています。 鳥山明は日本人のコンプレックスや白人への憧れを、強さの表現として利用しているのです。

超サイヤ人(白人)が界王拳(アジア人)を超える

  鳥山明は、実は孫悟空超サイヤ人にする以前、「界王拳」という形で、アジア人のままの姿で強さの表現をしています。

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界王拳によりパワーアップする孫悟空

超サイヤ人の登場は、アジア人(界王拳)では超えることのできない表現の壁を、白人(超サイヤ人)によって超えたことを意味しているのです。   その後、強さの表現は、超サイヤ人から超サイヤ人3まで進化していきますが、超サイヤ人3になると目の彫りが深くなるなど、さらに白人に近づいていきます。

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アジア人が西洋人の強さを身につけて黒人に継承する

ドラゴンボール最終回では、孫悟空がウーブという黒人の子供に修行をすることになり、物語は終わります。

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ウーブ(黒人)は第三世界のシンボル。ドラゴンボールというストーリーは、アジア人が西洋人の強さを身につけて、第三世界へとその力を移していく流れだと言えるでしょう。   ドラゴンボールのアニメが放送された当時、日本の若者の間では金髪が流行していました。 高級ブランド品や化粧品の広告は、今日でも白人がモデルです。

 

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思えば日本は黒船が来て以来、高い西洋技術に圧倒されて開国、その後、世界大戦でアメリカに敗戦。私たち日本人は、西洋人への憧れとアジア人でいることのコンプレックスを捨てきれません。 スーパーサイヤ人は「白人=強い」という私たち日本人が抱えているコンプレックスの具現化だとすると、ウーブという貧しい黒人が次の時代のヒーローとして提示され物語の最後を締めくくる。 鳥山明がこれを意図したとは思いませんが、彼はシンボリックな表現が非常に得意。ドラゴンボールは、日本人の深層心理を表現の中に巧みに取り入れた作品と言えるでしょう。国民的アニメ「ドラゴンボール」からは、日本人の人種に対する考え方が垣間見えるのです。

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  グローバル化する社会の中、私たち日本人は、人種の垣根をまだ越えられていないのかもしれません。

アンパンマンにアンパンチは必要なのか?

こんにちは。東野です。 このブログはアニメや漫画のメッセージ、世界観を文学のように紐解いていきます。 日本の子供たちに絶大な人気を誇る「アンパンマン」は、絵本版とアニメ版で少々お話が違います。今回はこの2点からお話したいと思います。

 

絵本版『あんぱんまん』が伝えたかったこと

今のあんぱんの顔をしたアンパンマンは、1973年の『あんぱんまん』という絵本ではじめて登場しました。

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 絵本「あんぱんまん」の物語は、

  • お腹の空いた人、森で迷子になった子どもに自身の顔(あんぱん)を食べさせてあげる。
  • 顔のなくなったアンパンマンは煙突に墜落し、パンつくりのおじさんに新しい顔をつくってもらう。

というものです。 絵本『あんぱんまん』のテーマは、献身。自身の顔であるあんぱんをあげることで人々を救う。それは既存の「カッコいいヒーロー」への挑戦でもありました。

絵本版『あんぱんまん』は格好良くない

作者のやなせたかしさんは、絵本の巻末で「あんぱんまん について」というタイトルで下記の文章を書いています。

「あんぱんまん について」 やなせ・たかし

子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。 ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。 そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、飢えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。   あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。 自分を食べさせることによって、飢える人を救います。 それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。   さて、こんなあんぱんまんを、子どもたちは好きになってくれるでしょうか。 それともやはり、テレビの人気者、「アンパンマン」のほうがいいですか。

世界の飢餓を救おうとする、絵本版『あんぱんまん』

茶色のマントを身にまとい、困っている人のために、自身の身を犠牲にしてまで、人々を救う。 そうして、顔がなくなっても、あたらしい顔が与えたれたら、すぐに次のお腹のすいた人のために飛んで行く。   決して「カッコいいヒーロー」ではないけれど、世の中の飢餓を救おうとする新しいヒーロー像を、あんぱんまんは表現しているのです。

参考

やなせたかしさんが「あんぱんまん」を描いた背景については、 Wikipedia - アンパンマンと正義に詳しいので、よろしければご覧ください。

 

TVアニメ「それいけ!アンパンマン」について

現在も続くTVアニメ「それいけ!アンパンマン」は、基本的に1話完結型のショートストーリーです。  作品の構成については、その多くが下記の通りになります

  1. アンパンマンが困っている子どもを助ける
  2. バイキンマンが悪さをする
  3. アンパンマンがアンパンチでバイキンマンをやっつける

TVアニメ「アンパンマン」は、飢餓を救う一方で、バイキンマンをやっつけるという従来のヒーローにある勧善懲悪の要素も取り入れています。 別にその事自体は、少しもおかしいことだとは思わないのですが、ただ、一点だけ違和感を覚える点があります。   それは、世の中の飢餓に挑戦していたはずのアンパンマンは、なぜ毎回バイキンマンを殴って問題を解決するのか。   という点。   バイキンマンは決して、言葉を知らないモンスターではありません。 暴力ではなく、対話による解決という道もあるのではないのでしょうか。   アンパンチでバイキンマンをぶっ飛ばして毎回終わるというのは、少し乱暴な印象を受けるのは私だけでしょうか。   こんなことを書くと、ほとんどの勧善懲悪もののヒーローから文句をいただきそうですが、しかしアンパンマンだけは絵本「あんぱんまん」のように「本当の正義のヒーローとは何か?」ということを問い続ける存在であるべきではないでしょうか。