【ネタバレ】ゴジラ、円谷英二が伝えたかったメッセージ
こんにちは、tohnomです。
世間では「シン・ゴジラ」が話題になっているようですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
そもそもゴジラとは何者なのか皆様はご存知でしょうか?
オリジナルのゴジラはどんな話だったのか、そしてそこに込められたメッセージとはどのようなものだったのか?を解説していきたいと思います。
■本日の作品は「ゴジラ」
1954年に公開された映画「ゴジラ」を今回は3つのメッセージで紐解いてみます。
・そもそもゴジラとは何か?
・なぜ、ゴジラは火(白熱光)を吹くのか?
・ゴジラは結局どうなったのか?
・映画「ゴジラ」はなぜ誕生したのか?
「核の落とし子」とされるゴジラの誕生は、「核」の歴史背景と深い関わりがある。
1945年に広島と長崎に原爆が落とされた後、世界は核開発に躍起になる。
1949年にソビエト連邦、1952年にイギリスが、それぞれ原子爆弾を開発。
1953年にはソビエト連邦が初となる水爆を開発すると、1954年にはアメリカも水爆実験を開始、マグロ漁船の第五福竜丸は水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びることになり、その半年後には乗員だった日本人が亡くなることになる。
ゴジラが公開されたのはこの2ヶ月後である。
海底に生息している古代生物のゴジラは、水爆実験によって生活の地を追い出され、地上に姿を現すことになった。
日本が核爆弾の投下によって広島(9万~16万6千人)、長崎(約7万4千人)が被害を受けたにもかかわらず、世界各国が核へ突き進んでおり、そして日本に核実験の被害が出ている。
ゴジラは「核」に対する怒りの象徴である。
■1945年を契機として加速する核実験
参照:Wikipedia
・なぜ、ゴジラは火(白熱光)を吹くのか?
東京に上陸したゴジラは、次々と街を破壊し始める。
自衛隊の攻撃をもろともせず、ビルを叩き潰し、ゴジラは東京を徹底的に破壊する。
■火(白熱光)を吹くゴジラ
終戦後ボロボロになった日本の経済は、1950年からはじまった朝鮮戦争の影響で、日本は米軍の補給物資の支援、破損した戦車や戦闘機の修理などを請け負うことで、景気が回復する。(朝鮮特需)
徐々に元の生活を取り戻した人々にとって、戦争の記憶は忘れたくてしようがなかっただろう。
でも、
ゴジラはそんな人々につきつける
「戦争の記憶を忘れてはならない」と
■燃え上がる東京
■焼け野原となった東京
ゴジラが公開された1954年からは日本は神武景気と呼ばれる爆発的な好景気に突入し、2年後の1956年には経済白書に「もはや戦後ではない」とまで記入され、戦後復興の完了が宣言される。
豊かさとともに薄れていく、戦争の記憶を監督の円谷英二は「ゴジラ」として残したのである。
・ゴジラは結局どうなったのか?
街を破壊をし続けるゴジラに為す術もない状況であったが、天才科学者・芹沢大助が開発した「オキシジェンデストロイヤー」という化学兵器によって終焉を迎える。
その場にいる生物を死滅させ、液状化させてしまうオキシジェンデストロイヤーは、砲丸玉ぐらいの量でも東京湾を死の海に変えられる程の威力を持つ。
水爆にも耐えたゴジラを殺すために、人類は水爆よりも強力な化学兵器を使用することになった。
■オキシジェンデストロイヤーによって骨となるゴジラ
水爆実験によって生息地を追い出されたゴジラを、水爆以上の兵器で殺す。
強力な兵器を求め続ける人類の歴史と、人間の都合で生息地を奪われた古代生物の命を人間が奪うという人間の身勝手さをゴジラの死は伝えているのだ。