【ネタバレ】「借りぐらしのアリエッティ」の「借りぐらし」の意味とは?
本日ご紹介するのは「借りぐらしのアリエッティ」
|作品のテーマ:「抗えない運命」
約70億人いる人類が自分だけを残して滅びそうになったら、あるいは、もし心臓病を患っていて、手術の成功確率がきわめて低いとしたら?
もしそんな状況になれば、私たちは今以上に自分の人生を深く見つめ直さなければいけなくなるだろう。
私たちが普段目にする物語やアニメは主人公が自分や仲間の力で自らの運命を切り開く。そんなストーリーが多いのではないだろうか。
しかし、「借りぐらしのアリエッティ」に登場するのは自分たちでは抗うことのできない重い運命を背負った二人である。
そんな運命を目の前にしても生きる意味や希望を見いだしていくためにどうすべきなのか、作品は私たち問いかける。
作品のポイントは下記の3点
1)借りぐらしとは何か?
2)小人とは、絶滅していく生物たちのメタファ
3)翔はなぜアリエッティに角砂糖を渡すのか?
1)借りぐらしとは何か?
作品のタイトルにもある「借りぐらし」について、アリエッティの言葉を引用すると「人間の家から気づかれないように少しずつ必要なものを借りてくる」ということになる。
「借り」だけでくらす
↓
なにも所有しない
↓
所有の概念がない
私たちは何かを所有することは当たり前だと思っているかもしれない。
しかし貨幣経済がない文明では所有の概念がない村が存在する。そこでは個人という考え方はなく、村単位で収穫したものを分け合うコミュニティが存在し、借りぐらしもこうした所有がない文明に通じるものがある。
借りぐらしという生き方はどこか近代以前の「天からの恵み」という考え方を彷彿させる。生きていること、住まい、食べ物、出会いその全てが誰かから与えられたものという考えである。
お金でなんでも買って手に入れようとする時代。
「借りぐらし」とは私たちが文明の発展の課程で失ってしまった考え方とは言えないだろうか。
2)小人とは、絶滅していく生物たちのメタファ。
「君たちは滅びゆく種族なんだよ。これまでにも多くの生き物が絶滅してきた。僕も本でしか見たことないけど美しい種族が地球の環境の変化に対応できなくて滅んでいった残酷だけど君たちもそういう運命なんだ。」
どこか他人事のように冷たい翔の台詞にアリエッティは声を荒げる。
「運命ですって?あなたが余計なことをしたから私たちはここを出ていくことになったのよ。」
「私たちの種族が、どこかで工夫して暮らしているのをあなたたちが知らないだけよ!私たちはそう簡単に滅びたりしないわ!」
また、家政婦のハルは、小人の住処を探したり、ネズミ駆除の業者を呼んだり、小人をビンに捕獲したりとあらゆる手法を使って小人を捕まえようとする。
このハルの行動は、どこか人類が他の生物を絶滅に追いやってきた人類の姿を彷彿させないだろうか。
小人とは、絶滅していく生物たちのメタファだ。
私たちはハルが小人にしてきたように、一部の種族を絶滅まで追いやってきたのである。
ハルがホーリーを捕まえようとするシーン。小人視点で描かれていてホーリーの恐怖が伝わりやすい。
「見ーつけた!」
また、作品のコピーにもなっている、「人間に見られてはいけない」は、絶滅してきた、もしくは絶滅危惧種となった生き物たちの声のように思える。
3)翔はなぜアリエッティに角砂糖を渡すのか?
最後の別れのシーンで、翔はアリエッティに角砂糖を一つ渡す。他の人からすれば、たかが、角砂糖一つを渡すだけに意味なんてないと思えることかもしれない。この二人にとって角砂糖を渡すことは行為以上の意味がある。
「手術はいつなの?」とアリエッティに聞かれて、
明後日、がんばるよ。君のおかげで生きる勇気がわいてきた。
と応える翔。
来週手術するけど、きっとダメだ
と言っていた翔の気持ちは、アリエッティとの出会いによって変化したのだ
ずっと受け取ってもらえなかった「角砂糖」を受け取ってもらうことは、アリエッティに心が通じ合えたことを意味する。それは手術をひかえた翔の人生にとって大きな意味をもつ。
また角砂糖を受け取ったアリエッティが翔に髪留め(洗濯ばさみ)を渡す。
「そばにこれを」
アリエッティも翔に髪留めを渡すが、こちらは手術のお守りとして、また自分のことを忘れないで欲しいと言う思いからであろうか。
翔は言う
「アリエッティ、君は僕の心臓の一部だ。忘れないよ、ずっと。」
プレゼントする物ではなく、プレゼントという行為や関係性自体に意味があるということは所有に依存しない「借りぐらし」の世界観を象徴しているのである。
作品のメッセージ:所有より大切なこと
私たちはいろいろな物を買い、そして所有することを求めてきた。その裏にあるのはなにかを自分のものにしたいという支配欲だ。
「借りぐらしのアリエッティ」はそんな支配欲に対するアンチテーゼを唱える。
今私たちの間では「シェア」という考え方が広がりつつある。
「借りぐらし」はどこか、「シェア」の世界に通じているのかもしれない。私たちはSNSを通じてお互いの近況や情報をシェアしあう。また近年ではシェアハウスやカーシェアリングなど所有ではなシェアしあう文化が浸透してきている。
モノが溢れている現代。私たちは生きるだけなら既に十分すぎるほどの生活を手にすることができる。
本当に大切なのはモノ自体ではなく、そこからどういう絆(物語)を感じることができたのかということなのかもしれない。
私たちは必ず死ぬ。100歳かもしれない。50歳かもしれない。翔のように12歳で死んでしまう人もいる。私たちはそれをコントロールすることができない。
いつか返さなければいけないものを「借り」と呼ぶのであれば、私たち自身「借り」ものであると言えないだろうか?
自分ではコントロールできないからこそ、誰かと支えあって生きていく。
所有という殻に閉じこもることなく、自己と他者との輪郭を曖昧にさせる。「借りぐらしのアリエッティ」が教えてくれるのは、運命を受け入れていこうとする生き方だ。