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「千と千尋の神隠し」日本の教育には神隠しが必要!?

千と千尋の神隠し」は、日本の教育に対する宮崎駿の問いかけだ。こどもが本当に成長するために必要なこととは何なのか。

作品テーマ:「教育」

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宮崎アニメで一番不細工な主人公!?

千尋と両親が引越しているシーンから始まる。小学4年生の千尋は、転校を受け入れられずにいた。

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鼻も低く、かわいく見せようと描かれていない千尋

風の谷のナウシカ」のナウシカ、「天空の城ラピュタ」のシータ、「となりのトトロ」のサツキ、「魔女の宅急便」のキキ。今までの、どの宮崎アニメの主人公(ヒロイン)とも異なる。千尋は平凡で活力がない。鼻も低く、可愛く見せようと描かれていないのだ。それは千尋の存在が、ごく普通の小学4年生であることを強調しているからなのである。 ごく普通の小学4年生 千尋は、ひょんなことから、両親と共に神々の世界へと迷い込む。神々の食事を食べてしまった両親は豚へと変身し、千尋は異世界で一人ぼっちになってしまう。

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豚になってしまった千尋のお父さん

 一人ぼっちになってしまった千尋だったが、ハクに助けられて油屋で働くことに。

本当にこどもを成長させるのは、教師でも親でもない

そこで油屋でボイラーを担当している釜爺に働かせてほしいとお願いをするが、今まで仕事などしたことのないであろう千尋は、ススワタリの手伝いをしたことで、かえって釜爺に怒られてしまう。

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激怒する釜爺

 千尋に厳しい言葉をかける釜爺だったが、湯婆婆の元へと案内をするよう、湯女のリンに働きかけてくれる。 最初は渋っていたリンも、千尋が油屋で働けるようになったことを知ると、安堵の表情を浮かべるなど面倒見の良いところが伺える。

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面倒見のいいリン

 釜爺やリンのように、他人のこどもをキチンと叱ったり礼儀を教えたり。本気で心配してくれるような存在は少なくなっているように思える。しかし、今のこどもたちには、こうした大人の存在が必要なのかもしれない。

湯婆婆=過保護、カオナシ=現代の若者

なんとか油屋で働き始めた千(千尋)。油屋で出会う湯婆婆カオナシは、現代の教育が抱える問題を象徴している。

湯婆婆:強欲さ・過保護

油屋の経営者である彼女は、魔法によって欲望を満たそうとする存在だが、息子の坊に対しては、危険だからと言って、外に出そうとしない。過保護のメタファーだ。

坊:現代のこども

湯婆婆の過保護な教育を受けた現代のこども、外に出ると病気になると信じて、家から出ようとはしない。わがまま。

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わがままな坊

カオナシ:現代の若者

他人とのコミュニケーションが苦手で、感情を上手く表せない。また、他人から拒絶されることを恐れ、物で相手の気を引こうとする。拒否されると感情的になる。普段は存在感がなく内気であるが、急に態度が大きくなったりする。 これは対人関係が苦手で存在感を消したり、内弁慶な態度をとってしまう若者の行動を比喩的に表現していると考えられる。

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拒否されて感情的になってしまうカオナシ

大切なことは甘やかすことではなく働かすこと

その後、千は、ハクを助けるために、銭婆の元へ行くことを決心する。 銭婆は湯婆婆の姉であり、強欲で過保護な湯婆婆と違い、魔法に頼らない。銭婆はみんなで働くことの大切さを知っている。扉を開けるにも彼女は魔法を使わない。銭婆の下で、ネズミになった坊も、カラスになった湯バードも、カオナシも働くことを学んでいく。

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銭婆に教えられ、働くことを学んでいく

 就業体験型のテーマパーク「キッザニア」が日本でも人気だが、その背景には私たちが、こどもたちを働くということから、遠ざけ過ぎてしまったことが原因だと考えられないだろうか。 机の上で受験勉強に励むことも大切だろうが、江戸時代の丁稚奉公のように身体を動かして働くということが必要なのではないだろうか。 銭婆は、みんなで作った髪留めを千にお守りとして渡す。 それを受け取り千は、ハクと共に湯婆婆の元へと向かうのだった。

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銭婆の渡したお守りはみんなで作ったものだった

少女は成長し、そして油屋を卒業する。

湯婆婆の最後の試練をクリアした千は、湯屋を卒業し、元の世界へと帰っていく。

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千尋は油屋のみんなに別れを告げる。

「お世話になりました!さようなら!ありがとう」

それは、油屋にきたばかりの頃、釜爺にお礼も言えなかった少女が立派に成長した証。彼女は油屋で働くことを通じて成長できたのだ。 千尋は無事に元に世界に戻れたが、千尋の両親たちには異世界での記憶はない。 あの出来事は、一見夢の出来事のように思えるが、千尋の髪には銭婆が渡してくれた髪留めがそのまま残っている。 魔法であれば消えてしまったかもしれないが、みんなが一生懸命作ったものは最後まで残っていたのだ。

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千尋の髪に残る、銭婆が渡してくれた髪留め

作品の背景について

千と千尋の神隠し」が公開されたのは2001年。その1年後、2002年に小中学校でゆとり教育が施行されている。 学習内容及び授業時数を3割削減され、円周率が3になった。私たち大人は、こどもたちにもっと楽な生活をさせたいと考えがちだ。

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しかし、こどもを過剰に保護しようとするのは、大人のエゴなのかもしれない。こどもたちは本当はそんなに弱くない。 今でも街では、既に歩けるような大きなこどもがベビーカーに乗っていたりする。それはどこか坊を甘やかす湯婆婆を彷彿とさせる。 神隠しとは、本来あってはならないこどもの失踪のことである。しかし、現代の過保護な教育環境では、神隠しが起きなければ、こどもたちが成長することは難しいのかもしれない。

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こどもの本当の力を引き出してあげることこそ本来教育のあるべき姿なのではないか。「千と千尋の神隠し」からは、宮崎駿の教育へ対する問題意識が伺うことができる。