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漫学:アニメや漫画を哲学のように紐解くサイト

アニメや漫画の時代背景などを紐解いて、もっと深く楽しめるサイトです。ビジョン:日本を代表する文化である漫画・アニメの新しい見方を世界中に広げていくこと。ミッション:学びとなる知識や教養の発信することで、漫画・アニメに新たな価値を付与する。

天才になれなかった人こそ見る価値があるアニメ「とある科学の超電磁砲」とは?

成績(点数)の序列化される学生生活。学生たちは自分たちの意思とは関係なく、教育システムに組み込まれて、優劣のラベルをつけられることになる。

その中で「劣」となった生徒たちがどう生きるべきなのかということをテーマとしている。

 

作品テーマ:才能がない人はどう生きるべきなのか。

 

■本日の作品は「とある科学の超電磁砲

「学園都市は私たちが私たちでいられる最高の居場所なの。私一人じゃできないことも、みんなと一緒ならやり遂げられる。それが私の、私だけの!」

 

とある科学の超電磁砲」は、超能力が使える学生が集まる学園都市を舞台として、学園都市第3位の超能力者(レベル5)御坂 美琴を主人公とした、学園ものストーリーである。

 

学園都市とは?

作品の舞台である学園都市では、学生を対象にした超能力開発実験が行われており、システムスキャンと呼ばれる身体検査が行われている。

 

学生たちは、何も気づかずに超能力を向上させているが、中では子供たちを人体実験が行われている。

 

「この街じゃてめぇなんぞただのデータ、そうだ減らず口を叩くデータだ」

 

これは、テレスティーナ=木原=ライフライン  の台詞であるが、学生同士を競わせて、序列化し、大人にとって都合のよい人間を輩出しようとする仕組みは、実は現在の教育制度と似ている側面がある。

 

なぜなら、現在の日本の教育制度は、もともとは富国強兵のため、つまり国家戦略としてとりいれられたものであり、決して子供の成長を第一目標として開始されたものではない。

 

その一方で、被験者の子供を守ろうとする研究者でかつ教育者でもある木山 春生の台詞には、こんな言葉がある。

 

「教師が生徒を諦めるなんてできない。」

 

学校という存在がどうあるべきなのか 。

大人は子供の教育に対してどう考えを持つべきなのか。

ということを、この作品は問いかけているのである。

 

佐天 涙子について

この作品は御坂のような優等生のために作られた作品ではない。

むしろ、超能力者が集まる天才集団の中で、(私たちと同じように)全く超能力を使うこともできずに、親からの期待や周囲への劣等感に悩む無能力者(レベル0)の佐天 涙子のような人間に向けられた作品である。

 

作品の中では、佐天のような学園都市に適応できない人間が多数登場する。

幻想御手(レベルアッパー) と呼ばれる能力覚醒装置に手を出してしまう初春・佐天の同級生たち。スキルアウトと呼ばれる無料力者の不良集団。能力開発に行き詰まり非行に走り、銀行強盗を犯す丘原。不良たちからイジメに遭っていた介旅 。

 

また、この作品の特徴は、こうした無能力者が、簡単に能力が向上しない点である。

従来のアニメであれば、登場人物が成長することで困難を乗り越えていくのが一般的であるが、佐天の場合は、作品の最期まで、無能力者(レベル0)のままである。

 

人は急激に成長することはない。

 

それでも、刺繍や着物の着付け、料理などで、佐天が活躍するシーンが描かれている。

また、最終話では、無能力者であるが故に仲間を救うことができる。

 

「学園都市での成績が人生の全てでないこと」「たとえ自分自身が変われなくても、ありのままの自分を活かす道があること」をこの作品は物語っているのである。

 

作品のメッセージについて

学生はどう生きるべきなのか?特に無能力者と呼ばれる教育システムに適応できない学生はどのように学校生活をおくるべきなのか?

 

当然、御坂 美琴のように最初はレベル1の能力者であったが、努力でレベル5となり、230万人の学園都市で第3位の存在になれるものもいる。

 

しかし、高いハードルを見た時に、それを超ようと思えずに、臆してしまう人もいるのが事実である。

 

「学園都市は私たちが私たちでいられる最高の居場所なの。私一人じゃできないことも、みんなと一緒ならやり遂げられる。それが私の、私だけの!」

 

子供は、国家や大人のためのものではない。

テストの点数が全てではない。

 

人に与えられた価値観に従って生きるのではなく、自分たちの学校生活を自分たちで楽しむ。

 

それこそが、パーソナルリアリティ(自分だけの現実)の正体なのである。