漫学:アニメや漫画を哲学のように紐解くサイト

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【ネタバレ】【風立ちぬ】宮崎駿の最後のメッセージ

こんにちは、tohnomです。

このブログでは、アニメや漫画の世界を文学のように紐解くことで、作者からのメッセージをより深く理解していこうとしております。

 

■本日の作品は「風立ちぬ

この作品は、ジブリの巨匠、宮崎駿が自らが最後の作品として監督された作品であり、作品の随所でクリエータ宮崎駿からの強烈なメッセージが感じられる。

  

さて、今回ご紹介したい作品のポイントは、3点。

 

・カプローニ=宮崎駿

・原作「風立ちぬ」にはなかった戦争の設定

 ・美しい夢の行き着く先は地獄だった

 

・カプローニ=宮崎駿

物語は、飛行機に憧れる堀越が零戦を作るまでの話である。堀越の夢の中には、飛行機の設計の先輩であるイタリア人のカプローニが登場する。この作品のメッセージは、夢を追いかける視聴者を「堀越」として、宮崎駿のメッセージをカプローニが話すという構造になっている。

 

つまり、カプローニの台詞は宮崎駿からのメッセージなのだ。

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「私は、この飛行を最後に引退する」

「創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。君の10年を力を尽くして生きなさい」 

 

創造的人生の短さについて語るカプローニの台詞からは、宮﨑駿がアニメ界を全力でかけて抜けてきたことが想像させ、次世代のクリエイターたちへの激励のメッセージとなっている。

 

・原作「風立ちぬ」にはなかった戦争の設定

風立ちぬは、ジブリの作品の中でもっとも戦争を直接的に表現した作品となっている。作中では戦争や死を感じさせるように、墜落した飛行機や卒塔婆などが意図的に挿入されており、戦争や震災の悲惨さを命のはかなさを直接的に訴えかける。

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しかし「風立ちぬ」の原作は結核の女性を題材にした小説であり、そこには戦争の描写は存在しない。零戦設計者の堀越二郎を主人公にしたのは宮﨑駿のアレンジであり、そこからは監督の意図がうかがえる。

 

宮崎駿は自身の作品を通じて戦争の記憶を後世に伝えようとしてきた。風の谷のナウシカ天空の城ラピュタもののけ姫ハウルの動く城、そして風立ちぬ宮崎駿ジブリで監督した10作品中、5作品は戦争や兵器が作品に登場する。

 

宮﨑駿にとって、アニメは人々に戦争を伝える「手段」だったのかもしれない。

 

また、軽井沢で堀越はカストルプと出会う。不適な笑みを浮かべながらカストルプは堀越に軽井沢について話し始める。

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軽井沢は)忘れるにいいところです。

チャイナと戦争してる。忘れる

満州国つくった。忘れる

国際連盟抜けた。忘れる

世界を敵にする。忘れる

日本破裂する

  

戦後70年たった今日、日本人の記憶から戦争の記憶が薄れつつある。カストルプのこの台詞もまた現代の私たちへのメッセージ。たしかに今日の日本は「軽井沢」になっているのかもしれない。過去の日本の戦争や世界の各地で戦争が起きていることを私たちは忘れてはいないだろうか。作品は問いかける。

 

・美しい夢の行き着く先は地獄だった

美しい飛行機を作りたいという夢を少年の頃から追い続ける堀越。その堀越にカプローニは告げる。

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「君はピラミッドのある世界とピラミッドのない世界とどちらが好きかね。」

「空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っているのだ。それでも私はピラミッドのある世界を選んだ。君はどちらを選ぶかね。」

 

堀越の美しい夢はゼロ戦となり、そしてパイロットを1人も無事に帰還させることなく終わる。最後のシーンでのカプローニと堀越との会話は美しい飛行機をつくりたいという堀越の夢の結末を物語る。

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 「ここは私たちが最初にお会いした草原ですね」

「我々の夢の王国だ」

「地獄かと思いました」

 

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地獄図と化したゼロ戦

 

・作品のメッセージ

作品のコピーである「生きねば」は、当然だが生命活動営むという辞書的な意味ではないいいということではない。「生きる」だけなら苦労しなくなった現代人にむけて宮崎駿はメッセージを送る。

 

 風が立つ、生きようと試みなければならない。 

 

堀越二郎は夢を追い続け、零戦を設計した。世間的には「成功者」だ。

 

でも、宮崎駿は違うと言いたい。


なぜか?

 

それは宮崎駿も一緒だから。

 

堀越二郎宮崎駿

 

自分も映画を作ることが夢だった。

 

一躍有名で、海外でさえ、その名を知らない人がいないほどになった。世間からみたら、夢を叶えた宮崎は「成功者」だ。

 

ただ、堀越と一緒。

 

色んなものを犠牲にして夢を叶えた先は地獄よりも地獄的だった。つまり、宮崎は伝えたいことを伝えるために映画を描きつづけた。

戦争のこと。
自然のこと。

 

映画はヒットする。でも平和はこない。環境破壊も悪化の一途で取り返しのつかないところまできている。

 

自分の無力感を、最後の自分の映画に表現したのではないか。どこか虚無感すら感じさせる夢の終着点。

 

夢という言葉は勘違いされがちだが、夢は叶えることさえも楽しいことばかりではない。堀越のように地獄のように終わることもあるだろう。それでも私たちは夢に対して力を尽くさなければいけない。

 

これがアニメを通じて私たちにメッセージを送りつづけた宮﨑駿からの最後のメッセージだ。