ドラえもんはポストモダンの象徴だった!?
こんにちは、東野です。 漫学は、漫画(アニメ)から見える現代社会について考えていきたいと思います。 今回は「ポストモダンとドラえもん」について。
ポストモダンとは?
近代では、科学技術の進歩が人類の幸せにつながると考えられていました。 しかし、フランスの哲学者リオタールは科学技術が進歩した現代において、環境破壊や核問題などを取りあげ、「科学技術が発展すること」=「人類の幸せ」という方程式に疑問を呈したのです。 この状況を、近代の後という意味で、「ポストモダン」と呼んでいます。 また、「科学技術が発展すること」によって人類は進歩していると考えることを、人類全体が共有する物語という意味で「大きな物語」と呼びます。逆に大きな物語終焉した後の個人や小さな組織で共有している価値観やゴールを「小さな物語」と呼んでおります。
このポストモダンの象徴とも言える日本の漫画(アニメ)がドラえもんなのです。
みなさんは、ドラえもん、と聞くと未来の便利な道具で様々な問題を解決してくれる夢のロボットと思うかもしれませんが、実はそうではございません。 たとえば、第一話でドラえもんから語られるのび太の未来は、ジャイ子と結婚、大学入試は落第、自ら起業するも、会社は丸焼け、倒産した結果、借金とりに押しかけられ、その借金は100年たっても返しきれないという悲惨な内容になっております。
ドラえもんがのび太に指摘するこの悲観的な未来は、当時の日本人への警鐘だったのではないでしょうか。つまり、のび太とはいざなぎ景気に浮かれた日本人の姿そのものだったと考えることができるのです。
その後、各話ごとにのび太はドラえもんの道具(科学技術)に依存するようになります。
しかし、その大概の結末は道具を使う前と同じ、もしくはそれ以下の状況に終わってしまいます。
ドラえもんという作品のメッセージは、人類の科学技術がいくら進歩しても人類は幸せにならないということではないでしょうか。 本来、人を幸せにするはずの科学技術ですが、進歩し続けることで科学技術への依存度は高まるようになり、時には人を不幸にすることがある。
作者の藤子・F・不二雄さんはそんなメッセージをドラえもんを通じて私たちに訴えかけていたのかもしれません。
日本は、まさに、「大きな物語」から「小さな物語」への移行期間に当たります。
インドやシンガポールといったアジア諸国の急成長を尻目に日本は今後、少子化、超高齢化社会、GDP低下、国債などの問題を抱えたまま生きていかなければいけない状況です。
もはや日本に「大きな物語」など存在しないのです。 そんな世の中で私たちは、自分たちなりの「小さな物語」を見つけ、生きていかなければいけません。