残業、合コンで金曜ロードショー「平成狸合戦ぽんぽこ」が見れない人のための解説
こんにちは東野です。 金曜ロードショー「平成狸合戦ぽんぽこ」が見れないというという声を聞く。「残業が厳しくて、」「今日は合コンで、」——なるほど現代人は忙しい。仮に私一人が「残業も合コンもやめて、今日はぽんぽこ見ようよ!」などと言っても、恐らく誰も聞いてはくれないだろう。
だけど、1994年に公開されたアニメ映画が、なぜ未だに全国放送のTV番組で放送されるのか。少し考えてみてほしい。
きっとそこには20年以上たった今でも、いや20年以上たった今だからこそ伝えなければいけないメッセージがあるはずだ。
とても大切な事というものは、いつだってなかなか人々の耳には入ってこない。人間とは都合のいい生き物で、自分の聞きたいことしか聞かない。
この漫学で「平成狸合戦ぽんぽこ」を解説することで、一人でも多くの人にこのアニメのメッセージが伝えられれば幸いです。
まだ観たことがない人、忘れてしまった人のためにおさらいすると「平成狸合戦ぽんぽこ」は、多摩丘陵で静かに暮らすタヌキたちが多摩ニュータウン計画によって住処を失っていく、という話。
高度成長経済に突入した東京の周辺部では、旺盛な住宅需要により、農地や山林の無秩序な開発が進んでいた。このような虫食い状の乱開発に変わり、居住環境のよい宅地や住宅を大量に供給するため、昭和42年来、東京都では多摩ニュータウン計画を推進。総面積約3000ヘクタール、居住予定人口30数万人。山林の木々を切り払い。山を削り、起伏をならし、田畑を埋め、昔からの家、屋敷をつぶし、多摩丘陵の山容を完全に変貌させて、巨大な造成地を造りだした。その上に緑とゆとりの一大ベッドタウンを建設するという古今未曾有の大開発事業である。
人間てのはすごいですね。それまでは私たちと同じ動物の一種かと思っていたんですが、今度のことでどうやら神や仏以上の力を持っているらしいってことが、よく分かりました。
化け学vs科学
タヌキたちは得意の化け学(ばけがく)を使って、自分たちの棲処である山を守ろうとする。ある程度の効果があったものの開発計画が中止になることはなく。タヌキは不安を募らせていく。
やがて、四国からやってきた3匹の長老ダヌキとともに「妖怪大作戦」を決行するが、レジャー施設の宣伝として利用させてしまう結末に。
科学が発達した現代では、化け学の力では到底太刀打ちできなかったのだ。私たち日本人は、もはや化け学の時代は終えて、科学の時代を迎えてしまっていたのだ。
その後、人間たちと決闘したり、テレビに訴えかけたり、逃避行に走ったりと、開発が進むごとにタヌキたちの生活は追いやられていく。
「山はオラたちの棲処。勝手になくさんでもらいたい。これは生き物すべての願いじゃ」
とテレビに訴えかけるおろく婆の声も虚しい。
金曜ロードショーを見ている人にはこの声が響くのだろうか。
忘れないでほしいのは美しい日本の自然風景
最後に生き残った全員の力を結集し、正吉たちは、かつての日本には存在した美しい自然の幻を人間たちに見せつける。
それは、正吉たち自身も思わず涙を流してしまうほどの、本当に美しい自然風景だった。
結局、タヌキたちは、タヌキのままでは生きることができずに、無理矢理にでも人間に化けて、人間社会で生きていくことになり物語は終わる。
狸は死んだ!もういない!
時にはユーモアな表現も含めて、時にリアルな表現を交える。大人も子供も楽しめる映画であるが、作品はぽん吉の強烈な一言で作品は締めくくられる。
「テレビや何かで言うでしょう『開発が進んで、キツネやタヌキが姿を消した』ってあれ、やめてもらえません?そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど、でもウサギやイタチはどうなんですか?自分で姿を消せます?」
多くのタヌキたちが交通事故などで死んでいくが、結局のところタヌキたちをそこまで追い込んだのは人間の側なのである。 監督の高畑勲は、代表作「火垂るの墓」と同様、日本人が忘れてしまうであろう歴史的事実をアニメ映画として伝えて続けている。私たちの住んでいる場所はもともと森や川があったはず。そしてそこには動物や虫が暮らしていた。私たちが快適に暮らしているということは、それらを殺戮してきたということだ。その事実を忘れさせない名作である。 作品の冒頭
「たーぬきさん、たーぬきさん遊ぼじゃないか。今ご飯の真っ最中。おかずはなあに?うーめぼし、こうこ。一切れ頂戴。あらあんたちょっとガッつきね」
この歌が歌われることは、日本ではかなり少なくなっているのだろうし、今後も増えていくことはないだろう。