アンパンマンにアンパンチは必要なのか?
こんにちは。東野です。 このブログはアニメや漫画のメッセージ、世界観を文学のように紐解いていきます。 日本の子供たちに絶大な人気を誇る「アンパンマン」は、絵本版とアニメ版で少々お話が違います。今回はこの2点からお話したいと思います。
- 絵本版『あんぱんまん』が伝えたかったこと
- TVアニメ「それいけ!アンパンマン」について
絵本版『あんぱんまん』が伝えたかったこと
今のあんぱんの顔をしたアンパンマンは、1973年の『あんぱんまん』という絵本ではじめて登場しました。
絵本「あんぱんまん」の物語は、
- お腹の空いた人、森で迷子になった子どもに自身の顔(あんぱん)を食べさせてあげる。
- 顔のなくなったアンパンマンは煙突に墜落し、パンつくりのおじさんに新しい顔をつくってもらう。
というものです。 絵本『あんぱんまん』のテーマは、献身。自身の顔であるあんぱんをあげることで人々を救う。それは既存の「カッコいいヒーロー」への挑戦でもありました。
絵本版『あんぱんまん』は格好良くない
作者のやなせたかしさんは、絵本の巻末で「あんぱんまん について」というタイトルで下記の文章を書いています。
「あんぱんまん について」 やなせ・たかし
子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。 ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。 そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、飢えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。 あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。 自分を食べさせることによって、飢える人を救います。 それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。 さて、こんなあんぱんまんを、子どもたちは好きになってくれるでしょうか。 それともやはり、テレビの人気者、「アンパンマン」のほうがいいですか。
世界の飢餓を救おうとする、絵本版『あんぱんまん』
茶色のマントを身にまとい、困っている人のために、自身の身を犠牲にしてまで、人々を救う。 そうして、顔がなくなっても、あたらしい顔が与えたれたら、すぐに次のお腹のすいた人のために飛んで行く。 決して「カッコいいヒーロー」ではないけれど、世の中の飢餓を救おうとする新しいヒーロー像を、あんぱんまんは表現しているのです。
参考
やなせたかしさんが「あんぱんまん」を描いた背景については、 Wikipedia - アンパンマンと正義に詳しいので、よろしければご覧ください。
TVアニメ「それいけ!アンパンマン」について
現在も続くTVアニメ「それいけ!アンパンマン」は、基本的に1話完結型のショートストーリーです。 作品の構成については、その多くが下記の通りになります
TVアニメ「アンパンマン」は、飢餓を救う一方で、バイキンマンをやっつけるという従来のヒーローにある勧善懲悪の要素も取り入れています。 別にその事自体は、少しもおかしいことだとは思わないのですが、ただ、一点だけ違和感を覚える点があります。 それは、世の中の飢餓に挑戦していたはずのアンパンマンは、なぜ毎回バイキンマンを殴って問題を解決するのか。 という点。 バイキンマンは決して、言葉を知らないモンスターではありません。 暴力ではなく、対話による解決という道もあるのではないのでしょうか。 アンパンチでバイキンマンをぶっ飛ばして毎回終わるというのは、少し乱暴な印象を受けるのは私だけでしょうか。 こんなことを書くと、ほとんどの勧善懲悪もののヒーローから文句をいただきそうですが、しかしアンパンマンだけは絵本「あんぱんまん」のように「本当の正義のヒーローとは何か?」ということを問い続ける存在であるべきではないでしょうか。